ラブコメ その3
日本のラブコメは家と学校の二つの場面しか登場しない。しかも、学校とはたいてい高校のことで、中学校が舞台というのはあまりない。学校と家、このどちらかの中で話が進む。アルバイト先での話はあっても非常に少ない。特に学校でストーリーは展開して、家で展開することは珍しいが、全く無いわけではないという程度だ。家族構成は登場人物の家庭についてはほぼ核家族である。日本型ラブコメ作品は多様だが、実はその根底にはこうした共通点がある。
核家族も特徴で、一作品につき登場人物が10人近く或いはそれ以上いるというのに、核家族でないとわかる者が極めて少なく、ほとんどの場合核家族か言及すらないに留まる。1人くらいいてもと思う祖父母の明確な登場は極めて稀であり、ゲストキャラクターの扱いだ。私も例を「ニセコイ」114話しか挙げられない。
つまり、ラブコメの主人公達の特徴を並べると、高校生であり、かつ、学校と家の二つの場所でしか話が展開しない。しかも核家族、となる。
例えば、夏祭りや花火大会を一緒に見て回ったり、偶然顔を合わせたりするのは学校の友達であって、これも学校の中の関係が一時的に学校外でも維持されているだけあるから、学校という場面に含めて良いだろう。翌日も学校で会うことを考慮して行動するのだから。周囲の特殊な環境と珍しい互いの浴衣姿の効果によって恋愛関係が進展することはあれど、そこに地域社会は登場せず、学校以外のコミュニティとの関わりも示されない。
このように、ラブコメにおいては地域は、作者が意識して除外しているかはともかく、作中を通して全く登場しない。
私は近所の夏祭りを手伝っているが、私や共に設営をする知り合いは全員、ラブコメにおいてはその他大勢にも入らない背景の人影でしか無い。
ToLOVEるジャンプコミックス13巻110話の夏祭りの光景こそ、典型的な夏祭りの描かれ方であり、そこには、夏祭りを支える裏方の姿が登場しない。もはや、我々現代人は祭りに集まることはあっても、祭りに参加することはない人の方が多いのである。
ToLOVEる13巻
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また、勉強会として友達の家に集まる話もあるが、場所は学校から移ってはいるものの、学校の友達と勉強するのだから、学校の場面の延長でしかない。
要するに、日本型ラブコメは家と学校の二地点だけで話が進むのであって、老人とか地域とかはストーリーに絡まないどころか登場すらしない。極めて狭い、同年代しかいない社会で起きている話なのである。
学校の知り合いと核家族しか登場しないというのは、近現代社会に生き、ラブコメを読み慣れた我々からするとさも当然のように感じるかもしれない。しかし、これは社会の弱さの現れではなかろうか。学校と家の二地点しかないということは、人間関係を狭い社会たる学校に依存しているということである。学校という物すら無くなれば、彼らは狭い家に閉じ込められてしまう。事実休校などで疲れを感じる学生も多いが、これは私が以前より漠然と感じていたことが、コロナウイルス流行による社会問題としてはっきりと浮かび上がったのだと思っている。
この記事と2日前からの記事を以てラブコメに共通する基礎を示すことができたと思う。後日、これらの基礎をまとめた記事を書いて自分の中にある考えを整理したい。
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ラブコメ その2
欧米はノッティングヒルの恋人みたいに、2人は結ばれるのか、というのがストーリー。
日本はタッチのように、2人のうちどっちと恋人になるか、というストーリーになる。
欧米は運命的で日本は選択的。
同じラブコメという語でも、日本の作品と欧米の作品ではだいぶ違う話を指している。
日本のラブコメのこの傾向はタッチやうる星やつらなど40年前からある傾向。しかも少年向けで目立ち、少女マンガではあんまり見ない。少女漫画は運命の人と結ばれるのか、という欧米型が目立つ。
理由は分からないが、1980年代に何かがあって、こうなったのだろう。
https://www.amazon.co.jp/ノッティングヒルの恋人-字幕版-ジュリア・ロバーツ/dp/B00HASI8YA
タッチ
まあ、タッチも日本のラブコメの中ではやや特殊な構造。
主人公がタイプの違う両極端な2人の異性のうち、どっちと付き合うか選択する、という構造が日本のラブコメですが、タッチは主人公が選ばないで、浅倉南という準主役(主要だが主役ではない)が選ぶのでね。
なのでより正確な具体例はニセコイかな?
主役(一条)がタイプの違うヒロイン2人(桐崎と小野寺)のうち、どっちをとるか、という基本構造があります。他のヒロインは話を膨らませる役割を担ってますが、つまりはその程度の扱いに留まっています。
「王道」と言われる程、典型的な日本のラブコメの構造してますから、それを楽しむにはうってつけです。
ニセコイ 漫画版
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ニセコイ アニメ版
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この話の続きは明日にでも。
その1 リンク
ラブコメ その1
日本のラブコメには奇妙な前提があります。描写から明らかだが、常識となっていて作中で言及されることの無い前提です。
それは現代社会が舞台であるという前提。
そんなの当たり前だろ、という人もいるかもしれませんが、現代社会であるということは、近代社会の延長上にあると言うことです。隣に誰が住んでいるのか知らない社会ということです。
学校一のイケメン(又は美少女)が実は隣に住んでいた、というのは極めて現代的、都会的です。この驚きから主人公の恋愛がスタートするためには、主人公が隣の家や部屋に誰が住んでいるのかわからないという前提が必要です。
つまり、日本のラブコメは現代の都市圏を前提にしているのです。
続きの「その2」は明日にします。
Montblanc Meisterstück149 名前の由来
いわずと知れた万年筆。
モンブラン自体、多くの人が知っているし使っているメーカー、ブランドだと思う。その中でも149は知名度、人気、生産数、価格でトップだろう。揺らぐことのないフラッグシップモデルだ。
万年筆を知らない人が思い浮かべる万年筆の姿は、だいたいがこの149かもう少し小さい146だろう。
これだけ有名な万年筆なので情報も多い。ただし誤解もある。例えば、149という名前。
よく言われるのは、本体の長さに由来しているというもの。
これは間違い。でも、とりあえず測っておく。
まずは全長。
全長は148ミリ。149にも見えるか? というくらい。
次に胴軸とキャップの長さ。端はきちんと揃えて測っている。
胴軸は約130ミリ、キャップは約70ミリ。
全長は148ミリから149ミリくらいだった。
では149とは何か?
これは3ケタの数字にそれぞれ意味があり、その法則に従って付いているのだ。
まず1はモンブランにおいて、マイスターシュテュックを指す。
4はピストン吸入式という意味。
9はモンブランにおける万年筆の大きさの規格を示す数字。数字が大きくなればその分大きくなる。今のパイロットの15号ニブとか10号ニブみたいなもの。
全長に由来する、という誤解が生まれたのは149の長さが偶然149ミリだったからだと思う。実は、149の全長は製造時期によって149ミリと148ミリのものがあり、過去に製造された149全てが149ミリというわけではないのだ。現在製造されているものは149ミリだが、これが未来永劫変わらないという保証は無い。
しかし、長さが149ミリの149を手にした人が誤解してもおかしくは無い。愛好家や研究家でなければ149を何本も買い集め比較することはない。モンブランにとっては沢山売った内の一本でも、買って人にとっては唯一の149なのだから。